2005.11.06 Sunday
東京タワー
[映画]
東京タワー 通常版黒木瞳 江國香織
源孝志
「恋はするものではなくておちるもの」
そう人はよく言います。この映画でも岡田くん扮する透が冒頭にいいます。
でも、後半で岸谷吾朗扮する浅野がこう言い放ちます。
「恋はおちりゃいいってもんじゃないんだよ」と。
ああ、なんかすっきりした、このセリフ。
透と詩史(しふみ)の恋愛は確かに純粋な恋愛で周りを傷つけてでも愛することは止められない、という類のものなんでしょう。
でも、その周りを傷つけるってことにおいて、一般の恋愛と異なり不倫は本当に傷つく人が多いのも事実です。
浅野であれ透の母であれ、愛するものを奪われる苦しみは筆舌に尽くしがたいと思います。
人を苦しめて成り立つ恋愛には相当の覚悟がいると思うのですが、この映画はそのあたりが丁寧に描かれていないので、主人公の二人がひどく浅はかな行動を繰り返しているようにしか見えないのです。
二人の逢えない切なさや逢えたときの快楽ばかりがクローズアップされ、この二人の存在がひどく浮ついたもののように思えます。
さらに透には恋愛以外での描写がないために、どうして詩史がそれほどまでに透に惹かれるのかが描ききれていません。
詩史からの電話を待つだけの毎日、詩史の好きな本を読むだけの毎日。
与えられるだけで、自分からは与えるものがないように見えます。
なので、透はまさに詩史にもてあそばれているようにしか見えず、おもちゃ云々のセリフがひどく皮肉にしかきこえないのでした。
一方、喜美子と耕二の恋愛は浮世離れした透と詩史のそれとは違ってひどくリアルで極端でした。
遊びで喜美子と肌を重ねる耕二はしたたかなようで実は浅はかで最後にひどいしっぺ返しを食らうわけですが、ああいう恋愛ができる男は実際はきっともっとしたたかで計算高いと思います。
罪悪感のかけらも無いような男こそができる遊びですからね。そういう意味では耕二は向いてないのかもしれません。
まぁ、喜美子ほどの気まぐれ錯乱主婦はなかなかいないとは思いますが。
その喜美子ですが、あんなやつおらんやろーと最初は思ってましたが、最後の衝突なんか見てて「いそうだなー」と考えを改めました。
女性ならではの挙動だなぁとしみじみ。やっぱり原作が女性なので、こういう女性の気まぐれで錯乱的な行為をよくわかってるなぁと。
ただ、ああいう人とは絶対知り合いにもなりたくないな・・・と思いました。
自分がちょっとそういう素質があるせいかもしれませんね。(さすがにエプロンでクラブに殴りこみなんていきません)
まぁ、いろいろ細かいことを言えば、「きみ、ビルからとびおりたんちゃうんか!」とか「自分を成長させて大人になるために留学にいってるのにそこまでおいかけたらあかんやろ!」とか思うところはいろいろありましたが、結局この映画の一番の見所は黒木瞳と岡田准一の美しさなんだろうなと。
そして、ちょうど昨日、「バタフライ・エフェクト」をみてたので、これは対照的な映画だなぁ。やっぱり女性向けの日本映画だなぁ。としみじみ思ったしだいです。