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何回もいうが、この映画はアイリーンがどうしてこんな結末を迎えなくてはならなかったのか、というところに焦点を当てるべき映画である。
当時のアメリカの情勢には明るくないけれど、娼婦として生きていかざるを得なかった女性が社会的にまっとうに生きていきたいと心から願ったにもかかわらず社会はそれを許さなかった。
そして悲劇は起きた。
人々の心に巣食う差別や偏見という闇を乗り越える力を求める人がいる一方、それを許さない世界がある。
そんな世界の前で、人々は無力だ。
閉塞しきったその世界で人々はレールからはずれることを望み、その一方でそれを恐れている。
コミュニティを乱すことで自分が乱されるのを恐れるからだ。
村や町というコミュニティの中では自分に対しても他者に対してもそのレールからはずれることを決して許可しない。
アイリーンは不本意ながらも娼婦にならざるを得なかったのだが、コミュニティは彼女が娼婦であることを(暗黙ではあるが)許可した。
つまり、それ以外の生き方を認めなかった。
アイリーンは多くの殺戮を繰り返したが、それは彼女が社会の差別や偏見の被害者だったからこそ、なのである。
人を殺したくて殺したわけじゃない。
許してくれない世界の闇から愛だけを信じて抜け出したかっただけ。
その愛も結局は切ない裏切りで終わってしまうのだけど。
| maita-k | 映画 | 15:50 | comments(0) | trackbacks(0) |