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しかし、とうとう死刑執行の日、最後にマシューが罪を告白して、観客は今まで自分が見てきた視点がいかに他人行儀であったかを知るのだ。
マシューは実行犯であり、ただの傍観者ではない。
その事実を知ったときに、被害者の家族の姿、検事の言葉、世間の風潮、すべてがフラッシュバックするような錯覚を覚える。
死刑反対だと素直に強く思えたのはあくまでそれが無実の罪をかぶっている人に対してであって、実際に罪を犯した人に対して死刑反対だとそれでも強く思えるのかどうか。
映画の中でも会話の途中に「ずっと死刑反対派だった人がある日自分の親戚が惨殺され、その姿を見たとき、死刑賛成派になった」というようなくだりがあるのだが、死刑反対と声高らかに言える人は果たして愛する人が惨殺されてもそれでも反対といえるのだろうか、という問題を監督は提起していると思う。
もしこれが最初から実行犯だとわかっていたならば、観客の視点もだいぶ違っていると思う。
死刑執行の是非についてはあまり映画では語られないが、非常に重要な問題のひとつであり、もっと多くの人に考えてもらうべきものだというメッセージを感じた。
| maita-k | 映画 | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |