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2004.09.23 Thursday

戦闘妖精・雪風(改) 著:神林 長平

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戦闘妖精・雪風(改)
神林 長平

発売日 2002/04
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DVDから先にみて、そのあとから読んだ。
航空関係の専門用語とか全く疎い私だけれど、別にこの作品は専門用語を知らなくても、読み応えがあってよかった。
というか、これは戦闘機の話じゃなくて、戦闘機に乗る人、乗る人を地上から見守る人の物語だ。
どれだけ世界が機械に支配されて人を必要としなくなったとしても人は人でありつづけるしかない。
機械に自分たちの居場所を奪われ、それでも、人が人でありつづけるためにその存在価値を見出そうとする。
この作品では地球外の敵「ジャム」との戦いに従事する人たちを描いているが、戦いにおいて人の判断のファジーさは危険なものだと見なされ、徐々に戦闘機にも無人タイプが採用されている。
機械の判断力、認知力に匹敵するためには人も機械のようにならなければならないという状況下において人は人足り得るのか。

この機械に限りなく近い人物として主人公零は描かれる。
零はブーメラン部隊と呼ばれる冷酷無比なならず者の集まりに属する青年である。
自分の役目は敵の情報を集めることだけで、仲間が攻撃されても援護しない。
信頼できる相手は自分の愛機「雪風」とブッカー少佐のみである。
しかし、冷酷といわれる零でさえ何かを、誰かを「信頼する」という気持ちがあり、作品のところどころで見せる感情的な行動を見ていると、機械とは明確に異なる有機体としての存在を意識せざるをえない。
人は戦うために生まれてきたのだろうか?
戦うという名目において人が人である必要性は無いのかもしれない。
しかし、人はもっと(広意義において)人としての存在価値はあるのだと思う。

| maita-k | | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |










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